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反射炉跡

1851年、薩摩藩の藩主となった島津斉彬は、軍備を強くするためだけでなく、産業をおこし、人々の暮らしを豊かにしたいと考え、磯地区に溶鉱炉やガラス工場、蒸気機関の製造所などの施設を設置し、集成館事業を開始した。「旧集成館」はそれらの工場群跡。日本初の洋式工場群であった。

 

※反射炉とは?

鉄を溶かして鋳型にはめ、大砲の砲身をつくるためのもので、現在はその基礎部分が残っている。

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