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旧集成館機械工場(現・尚古集成館)

1858年の斉彬の死後、集成館事業は大幅に縮小され、1863年の薩英戦争で集成館が焼失。薩英戦争で西洋との力の差を見せつけられた薩摩藩は、集成館事業の必要性を再認識し、1865年、洋式機械工場を建設。日本の近代的工場の建物として最も古いもので、丁寧に積み上げられた石壁にはノミ跡が残り、人々の苦労を感じさせる。基礎部には亀腹石と呼ばれる和風の建築様式も見られる。

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