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鶴丸城跡石碑

サンプル1

サンプル2

1602年に島津家18代当主の家久が築城を始めました。正式には「鹿児島城」という呼び方が用いられていましたが、屋形の形状が羽を広げたようであった所から「鶴丸城」として一般的に親しまれてきました。
城は石垣や堀を備えてはいましたが、「城をもって守りと成さず、人をもって城となす」というのが薩摩藩の思想から天守閣のない屋形づくりの建物でした。
西郷隆盛が設立した私学校の跡地にある石垣には西南戦争の際についたといわれる弾痕が多数残っています。
現在は本丸跡に黎明館、二の丸跡には鹿児島県立図書館等が建っています。


 

アクセス:鶴丸城跡 JR鹿児島中央駅から車で約10分

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